父、榮一のこと

ホームページづくりをしているときでした。山一園の歴史を載せようと、といっても
山一園は父、榮一が始めたお店。大きなお茶屋さんのようには、そんなに歴史はありません。

そういえば、父が写っていた写真があったと思い出して、探してみました。ありました、ありました

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父が第4回茶香服大会で優勝して、記念品としていただいたアルバムです。
茶香服大会とは今の、茶審査技術競技大会(闘茶会)のことです。
お茶の外観や飲むだけで、お茶の産地を当てるという大会です。県大会で入賞すると全国大会に出場でます。
そういえば小学校の頃住んでいた家には、トロフィーや賞状が飾ってありました。

アルバムを開いていくと新聞記事が貼ってありました。
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県大会で優勝したので、全国大会に出場したのでした。全国大会では個人戦・3位  団体戦・2位という結果でした。

私も県大会で入賞して、平成8年に開催した、第43回茶審査技術競技大会(闘茶会)に出場しました。
ようやく3段をいただける成績でした。
父の頃からの闘茶会、歴史を感じると共に、父の茶への情熱も感じました。

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父は焼津水産高校を卒業後、いくつかの職場を経て茶業界へと進みました。そのいきさつを聞くと、すごいなぁと
思いました。でもここではチョットお話できない内容でした。

上の写真は父が勤めていた会社での撮影です。父はそこで「さいとり」をしていました。「さいとり」とはお茶の斡旋業者のことです。
見本のお茶がはいったお茶缶をいっぱい持って、販売したそうです。そのときのお得意様との人間関係は今でも
続いており、今の商売にもつながったと常々言ってます。

何年か勤めたその会社を辞め、独立しました。そのとき父が勤めていた会社の親方さんに「えいぼぅ、これからは出物を扱えば
儲かるぞ。」とアドバイスをいただいたそうです。出物とは荒茶ができるときでる茎、けば、粉のことです。
それが、山一園が扱っている棒茶へと、今なお続いているのです。

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私は大学を卒業して、鈴木自動車工業株式会社(現在のスズキです)に6年間、営業としてお世話になり、
その後、2代目として山一園を継ぎました。

茶業界もたいへんな時期をむかえています。しかし基本を忘れず、父の情熱を受け継ぎ、お客様に喜ばれるお茶を
つくり続けていかなければ、そんんな気持ちにあらためてなりました。